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葉山葵

 芽吹きの春も過ぎ小国の野山も、厨房から見える宿の山も日増しに緑の色を濃くしています。しかし春とはいえ肌寒い日が続いており、近くのそば屋さんでは薪ストーブが焚かれていました。佐賀では5月といえばもうほとんど初夏に近い日差しに半袖でも過ごせますが、朝夕はいまだストーブも必要な小国の気温に、初夏の到来の遅さをやきもきしています。厳寒の頃の寒さに比べようがないくらいに温かくはなっているのですが、春の体に慣れた体は朝夕の寒暖の差に置いてきぼりを食っています。標高の高い小国ではまだ炬燵を残している家庭もあるようなので、一日の内に春と冬が入り交じるこの地の気候に慣れていくしかないようです。とはいえ、日中はウグイスがあちこちで鳴き多くの小鳥類も鳴き交わしています。宿の工事中は小鳥類も警戒して遠ざかっていたようですが、静かなたたずまいの宿が森の中にとけ込んでいくにしたがって、小鳥類が戻ってきたのか、もしくは宿と私たちが森に受け入れられたのか小鳥のさえずりの種類も確実に増えてきているようです。

 宿での1年の季節の巡りにはわくわくとした多くの新鮮な発見と喜びがあります。秋には茸類の多さに山里の生活を実感しましたし、味わったことのない真冬の空気の透明感と雪景色の美しさには心の中が洗われ、心の芯がほの温かくなっていくのを感じました。厳しかった冬が引いていき春の訪れを待ちわびる北国の人の心境を実感で分かりました。食材にもたくさん使いましたが山菜の種類の多さと、料理法の多様さにも山里の食生活の豊かさを感じました。街のスーパーでは手軽に調理できる加工した食品が並んでいるのですが、この地では素材を本来の調理で食材を生かした料理がされているようです。佐賀の山育ちの母が作っていた葉山葵の醤油漬けを作りました。辛い中に独特の風味が残り、口の中に残っていた母の味覚の一つでした。その葉山葵の醤油漬けを私が作ろうとは思ってもいなかったので、作りながら、宿を始めていなかったら、またこの山里の小国の地に住むようにならなかったらとても作らなかったであろうと、葉山葵のほの辛さと人生の不思議な展開を口の中でにしみじみと味わっていました。

 最近子供連れのお客様が泊まりに来られるようになりました。我が家の子供達も大学生となりそれぞれの地でボランティアに勉強に頑張っているようですが、親子のほのぼのとした触れ合いに接する機会があり、子供の成長の早さと子育ての大変だった時期を思い出しました。お客様の子供にどれだけ印象を残せたか自信はないのですが、1泊の宿泊で何らかの宿の思い出を残していただけたらと女将と話し合っていました。大人向きの宿の設えにしているもので、子供にとっては退屈な宿だったかも知れませんが、一組目の男の子供さんは夕食のコーンスープが気に入って頂き3杯もお代わりされ、二組目の女の子供さんは朝のデザートのスイカが気に入って頂きました。大人と違って子供にとっては宿の風景も、露天風呂もそう印象に残るものではありませんが、食に純粋な子供の口の中では宿の印象が刻まれることを願ってお出ししました。我が家の子供の成長は親から手を放れつつありますが、お客様の子供の成長に味覚の面から関わることが出来、私が受け継いだ葉山葵の醤油漬けの味覚の歴史のように、どこかで宿の味を思い出して頂ければと思っております。


    2012年5月21日     
    古天神 井崎
  






 
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