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冬の月

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24年12月31日の月
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12月27日の冬の月
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宿の入り口にある杉の上の月
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師走の喧噪の届かない散歩道からの夕陽
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葉を落としたクヌギの雑木林
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近くの寺尾野橋からの夕陽


外気温が零下まで下がる日が続いています。草は枯れ樹木は葉を落とし寒風にさらされています。まだ初冬なのに、今年の冬はいきなり厳寒の冬となりました。クリスマスの賑わいも師走の慌ただしさもこの山の中では隔絶されて、静かな暮らしのままの年末を迎えています。佐賀にいるときの師走の慌ただしさが何だったのか、たぶんに街全体やテレビ等が醸し出す商戦に体が反応して心までが年の瀬に浮かれて躍っていたのかもしれません。それはそれで何となく楽しくもあり、めでたい正月を迎える前の時節の喧噪としてアルバムの中の写真のように胸に刻まれています。

 まだスーパーマーケット少なかった30年代に、正月のおせちの食材を買いに母に連れられて行った先々の店の活気ある雰囲気が師走の街の景色だったのです。幟ははためき威勢のいい売り子さんの声、買い物をする女性達の顔も輝き、街も人も歳末大売り出し一色の賑わいに染まっていたのです。母は一人でおせちを何種類も黙々と作っていました。1年に一度のごちそうに期待を膨らませながらも、母は紅白も見ずに台所で仕事をしていたことを不思議な気持ちで見ていたことを覚えています。しかし、年末のおせちを作ってみて分かりました。家族が多かった頃のおせち作りには、下準備から素材毎の出汁を変えて大変に手がかかるため、国民の大半が見ていた紅白も見ずにおせち作りにかかりっきりでしなくてはならなかったのです。昆布のだしを取る鍋がストーブの上にはずっと乗っていました。その当時は何で昆布の鍋があるのかと思っていましたが、おせちを作ってみると母がしていたことの意味が分かりました。大人になることは大人達がしていた代々の習わしを引き継いでやっと大人の世界に入れるようです。

 それが1日の元旦となると、街全体が静まりかえり何となく厳かな正月になるのです。家の外の臼の上に飾ってある正月様にお参りをして、家の中の神様や正月飾りの鏡餅にお参りをして、おとそを頂き祖父の新年の挨拶が始まります。家庭の中にも威厳がまだ残っており家族を支える大きな柱が残っていた時代であったようです。ハレとヶの生活の区分があり、世の中にも正月だけは街の中にも厳粛さが漂い、1年の節目としての新年の大きな意味があったようです。この正月らしさが崩れていったのは、正月にも宣伝飛行機を飛ばして元日から店を開けて営業し出すスーパーが現れて街の様相が壊れていきました。やっと心穏やかにゆっくり出来て、1年の始まりを心引き締めて迎える元日の静かな1日が平常と変わらぬ日になってしまいました。去年今年の節目が明確にあってこそ、明日への希望も胸の中に秘めることが出来るものです。日本の正月を存在意義の薄れた単なる儀式ではなく、個人や家族や国の行く末を考える節目の日として捉え直すことも、個人の尊厳が軽んじられ、家族の威厳がなくなり、国の大きな柱が揺らぎだし、国の品格が落ちだした今の日本では必要ではないでしょうか。

 零下に下がった外気温の空気は肌を突き刺してきます。政治の世界ではまた昔の政権が戻ってきて、勇ましい事を訴える政治家に人気が集まり出しました。その勇ましさの裏には犠牲になる若い青年達が出てくるかもしれないのにです。杉の木の上には何事もなかったかのように月があがっています。寒い厳寒の夜にかかわらず、悠然と月は輝いています。人間は成長しているのか発展しているのか、それとも愚かになっているのか分かりません。便利な機器を手にして昔より進歩したと喜んでいるのも確かで、その恩恵も受けてもいるのですが、その反面心のどこかではこれからについての不安を内包させているのも事実です。誰かが、今の社会は成熟社会と言っていました。生活のインフラは整い物も豊になり、より贅沢を求めなければ不自由ない生活が出来ています。しかしながら、成熟の度合いを計る基準が分からないのに、見た目の豊かさだけで成熟社会と規定されても何か釈然としません。

 成熟社会の割には街を行く人々の目に輝きがないような気がします。母がおせちを作っていた時代の人々の目や街には活気が漲り輝きもあったような気もするのです。あのころは物もなくインフラも整っていなかったのです。人間は物の充足が最優先であることは当然です。国も人々も物を充足させるために一丸となりますが、その後の設計をしていく事は苦手なようです。物の充足を否定して心の豊かさをなどと言うつもりはありません。しかしながら、物の充足の後の国のあり方や設計については政治家任せにせず、私たちも何らかの形で関わっていかなければなりません。政治家のあまりにも節度のない哀れな姿は、あの様にしか育てなかった私たちにも残念ながら責任があるのです。おせちを黙々と作っていた時代には国民に何かの希望が見えていたのです。ある程度の希望を達成したこれからが、本当の国としてのあり方を考える時期でもあるのです。もちろんのこと東北の被災地ではまだインフラも整わず仮設住まいの方も多くおられるので、インフラの復旧や街の復興が最優先であることは言うまでもありません。

 厳寒の夜の空には悠然と冬の月が輝いています。厳寒の寒さの中でこそ月は仄かな輝きを放っています。年末の慌ただしさも、暮れていく1年の惜別の情にも浸らず、厳寒の夜の月は気高い輝きを見せています。進むべき社会のあり方や生活の目標を見失った今の私たちが指標とすべき姿を、冬の月は孤高の輝きを放ちながら示しているのかも知れません。


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古天神橋からの夕陽
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北里の建設会社から購入している薪の山
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薪ストーブの煙
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宿の看板の後ろに残る雪
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24年12月26日
古天神 井崎

 

 

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