TOPICS

雪汁

 薪ストーブに継ぎ足したクヌギがはじける音を聞きながら、3度目の緑を失った冬枯れの景色を眺めています。紅葉の秋から年末年始にかけて多くのお客様に来館していただきました。家族やご夫婦の温かい姿を見せていただき、こちらが元気をもらいました。先の見通しが暗く何かと不安をかき立てられる事象が多い中で、社会を形づくる家族や夫婦の在り方がしっかりしていれば将来もまだ展望が切り開けるだろうと安堵しました。空を背景にして整然と並ぶ葉を落としたクヌギの木立は冬にその姿の魅力を発揮します。夏の葉を生い茂らしたクヌギには目が留まりません。秋の紅葉ももみじやコナラの色には劣ります。しかしながら、葉を落とした冬のクヌギの木立の並びには目を引きつけられます。もし、その木立の中に夕日が沈んでいけば息が止まりそうなくらいの衝撃的な光景となります。雑木の代表であるクヌギも燃料としての薪や椎茸の栄養だけでなく、冬枯れの景色の中で空のキャンバスに奥行きを組み立てるなくてはならない素材の一つになっています。普段は注目されなくても、時と機会によっては存在を発揮できるようなそんな宿の在り方を冬のクヌギの木立に重ねました。

 まだ進路の決まらない子を持つ親として気がかりなことがあります。世間の荒波にもまれてこそたくましい大人に育つ、少々の苦労は若いときには当然であると大人達は社会の教育力を信頼していた時代がありました。だから若者が会社を早期に辞めることを忍耐心がないと批難はしても会社のとんでもない実態を知ろうとせず、いつの時代でも同じだと、自分たちの過ごした時代を基準に会社を擁護し子供を追い詰め、精神を破綻させるような実情が浮かび上がりつつあります。学校ではまじめに努力すれば誰かが評価してくれると生徒に教えます。それを信じたまじめな生徒は、会社や大人はいつかは評価してくれると長時間働き続けます。人の善意にあぐらを掻き人の努力する忍耐心を奪い取って、疲弊しきった抜け殻のぼろぼろの体にして追い出す企業があるようです。農業も歴史的には長時間の重労働の業種でした。しかし、今の劣悪の企業と違うのは人を使い捨てる発想はなかったのです。人手が足りない農家を助けるために「ゆい」のような共同作業があったし、収穫前と後には村の鎮守様の祭りがあり、ひとときの体を休める温泉旅行で羽目を外し鋭気も養ったようです。劣悪の企業は人を育てる発想は全くなく、ただ会社の利益のために使い捨てる人を道具としてしか見ていないようです。若者は国の将来の宝のはずです。人財として社員を大事にしてる会社も多くあります。そこで働く人たちはますます能力を発揮しやりがいもあるようで会社も成長しているようです。会社は社会の構成要素です。社会の荒波の一つとして、若者を国の将来のために成長させる健全な教育力も備えた企業に変貌を遂げて欲しいと子を持つ親は胸の奥で切なく願っています。

 社会全体で若者や子供を育てるという社会の教育力を衰退させ、人と人との間にあった扶養の心がけを壊し、劣悪な企業をはびこませた背景には、社会の活力は市場原理の導入によって達成させられるという時の政権の喧伝があったはずです。限りある資源を世界が分配して使うのは未来に対する責務のはずです。現在の時代さえ繁栄しておけば将来は関知しないというのは現代人の驕り以外のなにものでもありません。限りある資源を大切に使い子供達を大切に育てるのは将来に対する現在の私たちの努めでもあります。

 この秋からは多くのお客様方に来ていただきました。また宿の料理もほとんど好評をいただいたことを感謝申し上げます。料理がおいしいことは当然のことですが、お客様に満足していただく料理をお出しすることを日頃から心がけています。宿の料理はレストランの料理とは違います。あらゆる料理を食べられているお客様に満足していただくのは難しいものがあります。たぶん都会のレストランの料理がおいしいかも知れません。ただ、宿の料理がレストランの料理と違うのは、普通多くのレストランは人の生活圏の中にあります。宿は人の生活圏の外にあるということです。人は生活圏から外に出て旅に出ます。それが旅のはずです。生活圏は仕事や人のしがらみが詰まっている現実世界です。露天の木立から月を眺め、窓の外には小川が流れクヌギの山しか見えない世界が旅の世界であります。宿の料理はそのシュチエーションの中の一部でありその中に溶けもませて渾然一体となったのが宿の料理のはずです。

 夕食の最後にはご飯と普段は豆腐の味噌汁をお出ししているのですが、佐賀の大根を使った郷土料理である「雪汁」の味噌汁をお出ししました。ただ、だしを取った味噌汁に粗く摺った大根を入れただけでした。滅多におかわりをされない味噌汁を「雪汁」はおいしいとお変わりをされるのです。クヌギと同じで脇役の大根がその存在を大いに主張しました。しかし、声高ではなく優しい懐かしい味が受け入れられたようです。生活圏の外にある宿の料理はおいしいだけではなく旅の情緒を加味したものではならないようです。

26年1月14日

 古天神  井崎 
 


 

 
 

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス(ブログには公開されません):

ホームページURL:

コメント:

認証(表示されている文字列を入力してください):
v95a