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4月14日木曜日午後9時過ぎ、16日土曜日午前1時半頃に二度の地震に襲われました。そのときからなんとなく時間のすすみ方が真すっぐではないような気がします。余震が続いていたせいもありますが、いつなんどきまたあの時の激しい揺れに襲われるかも知れないという、不安定な揺らぎの浮遊感の中で生活を続けている感じです。熊本市や南阿蘇や、西原村で被災された方の中にはいまだ車中泊や避難所での生活を余儀なくされている方もおられます。この小国に居ても不安感を抱きながら毎日を送っていますので、被災地の悲惨な現状と今後を考えると胸が痛みますし、肉体的な疲れや精神的な疲れは想像をはるかに超えているはずです。大津や阿蘇の知り合いの所には支援物資を届けに行きましたが、生活が普段どおりに戻るのは容易ではないようです。

 地震の後には多くの方々からご心配の連絡を頂きありがとうございました。友人知人、親類にかつての経済連や高校の同僚に教え子や、80歳を過ぎられた小学校の恩師、20数年ぶりの高校の後輩、30年ぶりくらいの大学の後輩からも連絡を頂きました。なんと、この宿に泊まられたお客様からもご心配を頂き、励みにもなり心も強く致しました。連絡はあらゆる手段が使われました。電話、メール、ライン、フェイスブック、手紙、HP等からご連絡頂きました事を感謝いたします。

 5月の連休前で、ほん宿も満室のご予約を頂いておりました。せっかくの爽やかで新緑を楽しんで頂ける季節ではありましたが、5月のお客様は皆無となりました。幸いにも建物の被害はいっさいありませんで、器類が棚から落ちて少し割れた程度で済みました。温泉を心配しましたが、最初は泥湯の状態でしたがすぐにいつものお湯に回復しました。熊本に大分の観光地に温泉地はどこも客足が遠のき、大きな痛手を被っておられます。特に阿蘇の内牧温泉は3年前の大水害からやっと復活をしていた矢先のご災難、本当に悔やまれますが、お客様方は必ずどの温泉地にも戻っておいでになることを信じております。

 新緑も既に終わり、鶯の鳴き声も新鮮さを失いだした頃に、ホトトギスが鳴きだし、郭公も相変わらず遠くで鳴き出しました。もうすぐ蝉の初鳴きが始まります。春から初夏に季節は移っておりますので、お客様をお迎えする準備だけは整えながら、朝顔や向日葵やコスモスの種を植えておりました。来月にはお部屋や露天からも蛍が見られる季節となります。お客様のお顔が拝見できることを楽しみに、また本館でのお客様とのお話やお部屋に賑わいが戻ることを願って前に向かって進みたいと思っておりますので今後ともよろしくお願いいたします。

28年 5月23日

                              風のテラス 古天神

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露天風呂横の蕗の薹

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ご飯に蕗みそを 口には春の香り

ここ宿も2月の半ばにさしかかりましたが、まだ時に朝方の気温は零下に下がります。地元の人もこの冬の寒さは厳しかったとおっしゃいます程に、1月下旬の寒波は零下10度以下にまで下がったようです。その大寒波が来る前に、水と温泉を出し放しにして佐賀に逃げ帰っていましたが、おかげで凍結による破裂等は起こっていませんでした。暖冬の予報で油断していた身には、あの寒波の寒さは佐賀でも震えていました。そのために、体の中は冬の寒さに対して身構え、春の訪れは先のことと冬眠を決め込んで、佐賀での用事を済ませたり、新しいプランを練ったりと、宿も2月は予約を閉め、生活そのものもまどろんでいました。宿に戻り、露天の近くにたまたま目をやると、枯れた庭の中で数カ所、緑が点在しているのです。蕗の薹が顔を出し、そのいくつかは既に外皮から抜け出そうとしているのです。まさかと、まだ身体も気持ちも冬のまっただ中で、春の兆しなど予想もしていなかった時に、蕗の薹に出会ってしまい、こちらが慌ててしまいました。本来ならば春の訪れをすなおに喜ぶべきなのですが、まだ待ってくれと冬の間にすべき事が残っているのにと正直困りました。春は一斉に樹木も草花も動物たちも、息子の巣立ちも仕事も全てが始動し始めるのです。まだ、その心の準備は整っていなかったので、もう暫くは、草木も眠らす冬の中で安眠をむさぼっていたかったのですが、どんなに寒い冬も季節は確かに移り、諸事にも休みなどはなかったのです。

 冬の音の風物としては木枯らしがありますが、この2月のこの時期は冬空を切り裂くような声を上げて飛び回るヒヨドリの声がありますが、今年はこのひよの鳴き声を聞いていないのです。ウグイスやホトトギスが鳴き出す前に、この鳥に冬の風物を感じるものですが、ひよが鳴かないと外の枯れた景色がいっそう寂しくなります。もしくは、蕗の薹に気が付かなかったように、ひよの鳴き声に気づかぬままに過ごしていたのかも知れません。佐賀で暮らしていた頃と違って、この宿をやり始めてから生活が変わってしまったのです。特に佐賀では農家であったために年中行事は農事に関する慣習で生活を送ってきていました。農協の倉庫で男衆達は注連縄を作り、女性はその手伝いと炊き出しの風景がありました。その、当時は何をそこまでしなくても、買ってくれば済むことと合理的に考えていましたが、それらが地域での付き合いであり地縁を形成していて、今にして思えば注連縄を作る共同作業が年末を彩る風景でもあったのです。以前は餅つきさえも近所の数軒で共同して搗いていました。まだ、小学生の頃朝早くから大きなモーターがうなりを上げて、機械での餅つきが始まるのです。祖父は餅取り粉に前垂れを白くしながら丸めていました。各家庭は前夜から水に浸して置いた餅米を蒸し上げてリヤカーに乗せてやってくるのです。母を始め女性の仕事はそのころも表ではなく裏方であったのですが、その支えがなくてはとても行事が維持できていなかったはずです。鏡餅にあんこ餅にひえ餅にとそれぞれの家庭の好みの餅が搗かれていたのです。そのついた餅は大きな水を張った桶に入れられてカビが生えて匂いまで付いていたのですが、それらを削って保存食としてつゆ頃まで食べられていました。
    
正月は厳かで厳粛なものでした。1月1日の朝は臼の上の年神様にお参りをして、台所の神様にもお参りをして、正月飾りの鏡餅の前にお参りをするのです。母が作った見事なおせちが並ぶ前で家族7名が座って祖父の話を静かに聞いたものです。正月とは1年の節目で生活が引き締まるハレの行事でもあったのです。この宿をやって5年が経ちました、ここでの生活も慣れては来ましたが、数十年に渡って続けてきた行事はやはり身体に染みついていたようです。サービス業ですし、人様を癒す仕事をしているとはいえ、自分の身体の中にあった生活リズムを変更するのはまだ時間がかかることを実感しました。そのために、なるだけ佐賀での行事も引き継ごうとしているのですが、宿でのおもてなしの仕事が主となり、正月に向かって年末を迎える心の準備も付かぬままに、あわただしく正月が過ぎていき、自分の中での1年の節目も付かぬままに1月も過ぎてしまっていたので、回りの季節の変化にも気づかず、まだ冬の寒さの中で仕事から遠ざかったままに自分のぬくもりの中で安眠をむさぼっていたようです。まだ眠ったままのまどろみの中でたゆたっていたかった目が、冬の冷たい土を割って芽を出した蕗の薹に目覚めさせられました。

 家族四人で蕗の薹の天ぷらを食して佐賀に帰させる予定でしたが、7日日曜日の朝の急な積雪で取りやめとなり、一人残った宿で蕗の薹のみそを作りました。蕗の薹は痛みが早く出やすい山菜です。外皮が開くのも早く、すぐに黒ずんで来ますのではさみで切り取って汚れを洗って、練りみそに刻んだ蕗の薹を入れて煮詰めました。冷ましてなめてみると、確かにほろ苦い中に春の香りが広がりました。

28年 2月11日

古天神  井崎

くつろぎの大人の宿「風のテラス 古天神」
第3回ジャズライブ
 ゆったりした雰囲気の中で心ゆくまで大人のジャズを堪能 して下さい。          
            

 期 日 : 27年10月3日(土)
 
 時 間 : 開場17時  開演19時

 場 所 :  風のテラス 古天神 本館レストラン

 一般者 :  3000円  

 定 員 :  先着予約20名様 電話予約にて

 宿泊者 : 「月の音」「水の音」3名様以上
               料金はお一人様19800円
食 事 : 佐賀産牛カレーライスとワンドリンク                  

出演者
ベース    川上俊彦
ピアノ    緒方公治
ドラム 木下恒治
トランペット  古城 憲
ボーカル 大島麻池子

         博多の老舗ジャズ喫茶 リバーサイドにて活躍中
予約 問い合わせ
090ー2716ー9655 
                             古天神 井崎

なお、宿泊に関しては今回はすでに満室となっております事をご了承下さい。

ウグイスの鳴き声も新鮮みに欠けだした頃ホトトギスがあちこちで鳴いています。春を代表する野鳥はウグイスに変わりありませんが、古来から愛され続けている野鳥はホトトギスかも知れません。和歌に詠まれ、徳富蘆花の小説の表題であり、正岡子規の弟子の高浜虚子からの伝統俳句がホトトギス派ともなったホトトギス。ウグイスとは違って情緒を感じさせる鳴き声ではありません。むしろ釈然としないような鳴き方なのです。聞く人によって鳴き声が違って聞こえる鳥はホトトギスしかいません。他の野鳥はさえずる鳴き方なのですがウグイスやホトトギスは季節を確かに具現する鳴き方なのです。まだ寒さの残る晩冬の初鳴きのウグイスには、待ちわびた春の到来を感じます。蝉も初鳴きをしました。しかしながら、何か釈然としない鳴き方のホトトギスの初鳴きは耳に残らないのです。いつのまにかあちこちで鳴いているのです。

 何か釈然としない鳴き方がそれ故に、夜のホトトギスの鳴き声には哀しみを覚えるのです。人の人生など釈然としない連続かもしれません。釈然としないために不思議であり未知であり、哀しみであり、生きている確かな手応えと安息を求めてもがいているのかもしれません。暗澹たる淵を横に見ながら危うい必死ながらも滑稽な歩みをしているのが、 大半の人たちではないでしょうか。多くの野鳥は一度聞いても似たようなさえずりで区別が付きません。ウグイスのような誰が聞いても分かるような鳴き方の人生を目指したり、多くの野鳥のようなさえずりにしかならない人生で終わる人が普通です。しかしながら、ホトトギスの釈然としない鳴き方に思いを馳せるのも人生の深淵を求める生き方かもしれません。だから、文学者はホトトギスを表題にしたのであり、ホトトギスは俳句の題材にもなるのです。

 宿に来て頂くお客様の人生の機微を聞くことがたまにあります。お客様とは程良い距離を保つようにしておりますが、この宿に来て頂くお客様は和まれてかよくお話をして頂きます。皆様暗澹たる人生の淵を覗かれていますので、この浮世離れした宿を気に入って頂いております。仕事や職業や地位は何であれ、誰でもその人の人生は外から見られるように華やかではないはずです。苦労と苦渋と忍耐の生活を送られた多くの方が、その苦労を外には出さずにしばしの憩いにお見えになります。その方々にしばしの安息の時をどこまでご提供できているか、まだ不十分ではありますが心がけているつもりではおります。家庭におもりを背負われた方や、仕事で寂しさを感じられたり、人は誰でも傷を内に担って明日に向かっているのです。人は強がりなくせに傷つきやすく寂しがりやでもあるのです。夜鳴きのホトトギスを聞いただけでも哀しくなるのです。哀しみを胸の奥に多くもたれた方が人に優しく豊かな方のような気がします。

 お客様からよくこの宿で癒されたとお聞きしますが、こちらとしてはむしろ、逆にお客様の言葉に励まされて元気を頂いております。いつも来て頂くお客様の顔を見ないと不安になったりするようになりました。お客様の笑顔が女将と二人で宿をやっていく上での大きな支えとなっております。



 遠くの方でカッコウが鳴き出しました。なぜかカッコウは遠くで鳴くのです。そしてこの時期にしか鳴きません。山の奥の方からかすかにしかし明確に聞こえるのです。初夏の到来です。つい先日まで石油ストーブを朝方につけていました。この小国では春はほとんど佐賀の冬に近い気温です。5月にして10度を切るなど、春の季節の中なのでよけいに寒さを感じていました。しかし、やっとカッコウが鳴きました。やっと春本来の気温になるようです。実はホトトギスもカッコウ科の野鳥なのです。カッコウは夏の青空をももたらしました。冬の寒さに震え、人生の鬱屈さに打ちひしがれていた身に、カッコウの鳴き声は光明をもたらしました。音楽がないと生きていけないほどの身でありながら、この数ヶ月音楽を遠ざけていました。音楽さえも受け入れないほどに、こころのひだが摩滅していたのです。山の奧から聞こえてくるカッコウの鳴き声は心を弾ませてくれました。明確な季節の到来を告げる鳴き声がお客様に届く宿になれるように、山の奥の方で精進を続けます。

ホトトギスおぼろに鳴きて石を蹴る

カッコウの鳴きける方に歩むのみ
 
摩耗せる心のひだでホトトギス

初鳴きの蝉は瞬く抜け殻や

のっそりと狸は動き世は眠る

ホトトギス鳴きやまぬ夜は闇のまま

カッコウの遠くに鳴きて空青し

カッコウの鳴く空遠く雨近し


風のテラス古天神  井崎

 朝から重い雲に覆われ午後から小雨が降り出し、夕方から夜にかけも雨が降り続くようです。気温が下がっていたら雪になったのでしょうが冷たい雨が降っています。冬は雨ではなく雪にむしろなって欲しいのです。雨はその他の季節、春や夏や秋には似合うのですが冬にはどことなく間が抜けたような天気に思えるのです。冬の午後の青空も空気が澄んでいるために寒くはあるのですが、どこまでも突き抜けたような青空が広がります。山の稜線にクヌギ等の木立が立ち並び、その上の澄み切った冬の青空には寒さを忘れさせる程のものがありました。しかし、気温がゆるみ雨となりました。雨雲はすべての視界を遮り内向させてしまいます。もちろん行動も制約されますし、自ずと雨に降り込められた世界と向き合うしかありません。飛び回っていた小鳥たちも羽を休めて雨宿りをしているようです。もっと気温の高い時の雨ならば少々濡れてもそう気にはなりませんが、冬の雨は体に障ります。やはり、冬は雪が似合うのです。雪ならば何故か外に出たくなるのです。気温が零下に下がっていても外に出たくなります。雪はやはり、日常の暮らしを一時的に覆い隠す、非日常へと誘う特異な気候現象なのかも知れません。雪が降ると不思議と雪を触らなくては済まない衝動に駆り立てられます。雪が冷たいのは分かっていても、冷たさに触れて自分の存在の証を無意識に確かめているような気がします。もしくは雪が降ると普段は眠っている大人の顔として背伸びした疲れを解放して、童心を取り戻し、つかの間の子供の無邪気さに心を遊ばせ、元気を養っているのかも知れません。

 年末年始の数日間はおかげさまで満室での営業をさせていただきました。ただ年末寒波が全国を襲いここ小国でも30日から2日までの4日間とも雪になり、気温も連日零下の寒さとなりました。、宿の横の駐車場は積雪のため使えず、上の空き地を時松さんからお借りして臨時駐車場にさせていただいて、私の車で上と下の送迎をしました。この時期は全国的に荒れた雪の年末年始だったのですが、この宿では約15センチ位雪が積もり、その積もった雪が凍ってしまう程に気温が下がりました。この4日間は宿全体が冷凍庫に閉じ込められたような過酷な生活をさせられました。お客様方は雪の多さに来ていただけるかと心配していましたが、ほとんどのお客様は冬装備のタイヤに履き替えられて雪の山道を来ていただきました。感謝の言葉しかございません。本当にありがとうございました。敷地内も雪が残り食事時の本館に上がる凍った石段や、露天までの滑りやすい道でもご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

その後、以前からお世話になっている地元の松平さんから指摘されていた、宿の坂を温泉の湯で溶かしたらいいというアドバイスを早速実行に移し、ファームロードからの入り口近くに雪を溶かすための蛇口を取り付けていただきました。今回のような宿の敷地内が雪で埋められてしまうということはないような対策を取らせていただきましたので、これからの雪でもご安心して滞在できるようになりました。ただ宿までのファームロードは相変わらず除雪がされませんので冬用タイヤでしか通行は不可能となります。

この年末年始は宿が雪に埋もれてしまいましたが、お客様には九州では滅多に見られない雪景色や雪見の露天風呂を堪能していただきました。お客様が喜んでいただけた表情が何よりの励みとなりました。日頃はしない雪かきの肉体作業に疲れ、足場の悪い中での部屋までの案内や、車が動けなくなった方の送迎等いつもとは違う応対に女将を初めスタッフ一同疲れ果ててしまい、4日以降は暫く放心状態でいました。お正月が来たのさえ頭ではわかり、年越しそばを作り、雑煮等も作ってお出ししたのですが、実感がわかずひたすらにお客様のおもてなしに努めていた期間だったようです。12月の中頃から準備を始め仕込みや買い出し等で忙しい前準備を行い、食材等も満室のお客様の分を用意していました。そこまでしていても、天気は何の配慮もすることなく大雪と零下という寒波をももたらしたのです。しかしながら、今となってはあの数日の過酷な雪の年末年始が懐かしく感じられるのです。大変な天気の中のおもてなしだったのですが、お客様には喜んでいただき、また次も来たいと言って帰って行かれたお客様がおられたあの数日間は確かな手応えを感じ取ることが出来た充実した時間だったような気がします。それが今となってはもう既に懐かしく思い出され、このことがサービス業という仕事の良さであり、次につながっていく宿の持つ醍醐味と言えるようです。

 もちろん年末年始が寒くても晴れ渡っていればそれはそれで、正月のめでたさを晴れやかにおもてなしできたと思いますが、もし、雪が降らず雨であったとしたら、あそこまでの充実感やお客様がおっしゃる想い出に残る滞在にはならなかったはずです。6月の雨には紫陽花が似合うように、やはり冬は雪でないと想い出にもドラマにもならないようです。

雪かきや埋もれた笑顔掘り出せる

 湯気立てる雪の露天は湯音のみ

 ピアノ聴く宿の外では夜も雪

27年1月21日
古天神 井崎